「… メ ガ ン テ !」
意外に、痛くも痒くもないんだな。
呪文が発動した瞬間、思わず呑気にそんなことを考えてしまった。
ただ。敢えて言うのなら、胸が痛い、ということぐらいだろうか。
ムーンの泣き叫ぶ声と、俺に手を伸ばしかけて何かを言おうとしているローレ。
白いでいく視界に最期に見えたその表情が、明らかに激怒のそれだったから。
流石にやばい、まずったかもなんてぼんやりと思った。
Name *プロローグ
「おいっ!大丈夫か!?おい!」
うるせぇな…声抑えろよ…。
耳元で喚かれて、頭の中でがんがんと鐘が鳴る。
「おい!」
そんな切羽詰った声で呼びかけられても、こっちとしては瞼を開けるのも億劫なんだが。
全身が異様にだるく、このまま寝かせておいて欲しいと心底思った。
だが、声の主はどうやっても俺を起したいのか、終いには他人の頬をぱちぱちと叩いてきやがる。
一体なんだってんだ!
声は出す気力も無かったから、胸中で毒づいてやった。
と、そこで俺は妙な違和感を覚えたんだ。
眠気と頭痛と倦怠感。
ん?…あ、れ。
もしかして、俺…。
……生きてる、の…か?
そう考えると、身体のだるさも、頭痛も、眠気も、皆生きている証拠に思えてきた。
何故命を落とさずにすんだのだろう。
そう思わなくもなかったが、何にせよ生きているに越したことはない。
「おい!大丈夫か、君!」
再び掛けられた声にも、応えてやろうという余裕も出てくるというものだ。
重い瞼をどうにか開け、薄く開きかけたその先に声の主を見出そうとして。
けれど、不意に襲った強烈な睡魔に俺の意識は再び暗転したのだった。
□■□
ふと目が覚めると、ぼんやりと明るい天井が見えた。
小さく一点だけ淡く光る灯りに、凄い小型のランプだな、と思い。
状況は良く分からないながらも、自分がどこかの部屋で寝ているのだということだけ理解して。
天井からつと視線を下ろし。
何気なく横に目を遣って。
真っ直ぐで少し硬そうな黒髪と。
すやすや気持ち良さそうに寝息を立てる見慣れた顔にぶち当たると。
「な…っ!な、な何で、お前が俺と寝てんだよ!!」
俺は思わず絶叫した。
ついでに、これでもかという程力一杯ベッドの上を後退る。
途端に上がった心拍数に我ながら驚いたが、今は正直それどころじゃない。
流石に自分が何かしたとは思えないが、前後の記憶が曖昧なことに妙な焦りを覚えた。
今の俺の声で目が覚めたのか、見慣れた顔の主、ローレは小さく身じろいだ後、おもむろにその身体をがばりと起した。
「あ、良かった!!気が付いたんだ!」
開口一番抱きつきそうな勢いで身を乗り出してきたローレに、同じ分だけ後退ってみせて。
引きつった頬の筋肉はそのままに、俺はやんわりと手で制して聞き返す。
「で、だ。…ローレ。今のこの状況は一体、…何なんだ」
「…え。何?」
「だーかーら!今のこの状況を説明しろって言ってるんだよ!」
苛立ち混じりに言えば、不思議そうに首を傾げる始末。
しらばっくれるな。そう睨みを利かせると、ローレは困ったような、それでいて至極真面目な顔で話し出した。
「状況って言われてもなぁ…。まあ、簡単にまとめると。さっき、俺がバイトから帰ってきたら、君がうちのマンションの前に倒れてたわけなんだけど」
「………?」
「意識も戻らないし、救急車呼ぼうにも、剣?とか持ってるし、なんか訳有りそうだったから…そのままうちに運んだんだ」
「……………??」
「…あ、それとごめん!ここワンルームだしベッド一つしかないから隣に寝かせてもらったよ」
「???ちょ…え?……??は?何???」
一体何の呪文だ。
聞き慣れない単語の羅列に俺は瞠目した。
「何の冗談かしらねぇけど…、真面目に話して欲しいんだが?」
「冗談って…。充分真面目なつもりなんだけど?」
はあ…。限りなく盛大な溜息が俺の口から零れ落ちる。
「あのなぁ!俺達さっきまでロンダルキアにいただろ?で、何でいきなり俺とお前が一つのベッドで寝てる展開になる訳だ?それを説明しろって言ってるんだがな」
「……??」
「ってかローレ。ムーンはどうした?」
記憶が曖昧なのは自分のせいなのかもしれないが、こっちはこっちで大分焦っているんだ。
さっさと答えて欲しい。
どこが真面目なんだか分からない相手をもう一睨みする。
すれば、たっぷり5呼吸分の沈黙をおいて、ローレは言った。
「…君、俺を誰かと勘違いしていないか?」
「え?」
誰かと勘違い?ってそんな訳はないだろう。
どこをどう見てもローレだ。
ローレシアの第一王子で。
俺の幼馴染で。
真面目なのにどこか抜けてて。
フェミニストなくせに、俺にまで優しくて。
頼りになるけど。
支えてやりたくもなる。
只今絶賛片想い中の相手、だ。
「勘違いって…。お前、ローレ、だろ?」
自分で言いながら、妙な気分になった。
よもや。どう見ても本人その人に名前を確認することがあろうとは。
だが、目の前の青年はきっぱりとこう言い切ったんだ。
「俺は、もょもと。“ ローレ ”じゃないよ。」
ぱちぱち。
図らずも、そんな音をたてて俺の両目は瞬いた。
「………は?今、何て言った」
「もょもと」
「…みょ、も、……も、み……、もょっ………」
「も ょ も と」
「もっ…、もょみ……、みゅっ………ぃっってぇえええ!舌かんだ!!」
って、そっちを気に掛けてる場合じゃないだろ、俺。
あまりにインパクトのある名前だったもんだから、完全に意識がそっちへ行っちまった。
「ローレ…。何だか知らねぇけど、悪い冗談はやめろ…」
口元を押さえて涙目になっている俺に、大丈夫か?なんて訊いてくる角度も、ローレそのものなのだ。
ムーンが見たって、いや、誰が見たところでローレシアの王子でしかないはずだ。
それなのに!
「冗談も何も。俺は本当にローレってヤツじゃないんだけど…」
「……………」
冗談でなければ何なんだ!
記憶喪失とでも言うつもりか?
いや、この場合は、二重人格の類か?
引きつった笑いを携えて、俺は天井を振り仰いだ。
埒の明かない会話に、俺はとうとう値を上げたのだった。
続……くのか?
続いた…!(笑)
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