「サトリ、もう休もう。明日は、早いんだし…」
「んー」
雪に閉ざされたこの地では、途中で休むことも間々ならない。
だから僕達は、明日の日の出を待ってここを発ち、この旅の終着地点、邪教の塔へと一気に向かう予定だった。
言わばこれが最後の休息だ。少しでも体を休ませておかなくては。
そう思うのは理性。ローレシアの王子としての思考だ。
「なぁ、少し話そうぜ?」
そう言って暖炉の前に座る自分の横をぽんぽんと叩いて座れと示してくるのは、同じく王子のサトリ。
でも、たぶん違う。彼は今「サトリ」で。僕に「ロラン」であることを望んでいる。
二年と少し。僕は、彼のその違いに気づけるぐらいには彼を知り、彼を見てきた。
だから分かるのだ。こんな時、彼はいつも僕に甘えたがっているということを。
「ん〜、じゃあ少し…、お邪魔させて頂くよ」
「おー」
苦笑混じりそう言えば、彼は素直に喜んで暖炉の前の特等席を僕に空けてくれた。
別にここでいいのに、とその席を辞退しようすれば、俺にはこれがあるからと、羽織っていた厚手のマントを広げて見せた。
「あ、それともこれ。一緒に入るか?」
「…え」
「我らがリーダー様に風邪でもひかれたら困るしなー」
そう言ってけらけらと笑いながらマントの端を寄越してくるから。
僕は溜息一つついて、ばさりとその中へ潜り込んだ。
「これで満足?」
「おー、満足、満足。で、どう?」
「どうって、何が?」
「だーかーら、暖かいかって聞いてんだよ」
「ああ、あー、…うん。凄く」
「そりゃあ、良かった。なんせ、俺の愛情入りだから、このマント」
「あ、あい…っ!?……って、サトリっ!さっきから僕のことからかって楽しんでるだろ!」
「うん。めちゃくちゃ楽しんでる」
「………サトリ〜」
「なに?」
「や、いいよ…、もう」
本当に機嫌が良い。
ここまで楽しそうに、歳相応に。いや、歳よりも幼く振舞う彼は初めてだった。
でもそれは、今、彼がそれだけ思い詰めていることに他ならない気がして。
僕はそれに気がつくと、何を話したら良いのか途端に分からなくなり、口を閉ざした。
だが、彼はあっけらかんと笑っている。
「俺さぁ、今、凄い嬉しくってさ」
「…嬉しい?」
「そ。何か、凄い幸せーって感じ。」
何で?そう質問しても良いものなのだろうか。
あまりに屈託なく言われると、何故か無性に不安になる。
「雪。」
「雪?」
「ん。雪、降ってるだろ?降ってるっつーか、一面真っ白って感じだけど」
「何?それが嬉しいの?」
「んー?なんつーのかな。サマルトリアにも結構雪降るけどさ、こんな視界一面真っ白なんて初めてだし…」
「うん」
「何か、そーゆーの凄く新鮮でさ」
そう言った後、彼は僅かに僕の方に体を寄せたようだった。
「俺、城で一生終わると思ってたから。多分、この旅で一生どころか何回分の人生も楽しんだ気がするよ」
不謹慎、かな?そう続いた彼の声は、少しだけ震えていた。
「僕も……、うん。同じ、かな」
ぱちぱちと爆ぜる薪が、からんと小さく音を立てる。
サトリが少し驚いたように僕の方を見た気がしたが、それはほんの一瞬のことで、直ぐに視線が外れた。
「そっか。うん」
「うん。そう」
「……だよなぁ。だって俺達、海も山も川も森も、砂漠も湖も、洞窟だって、廃墟だって、なんだって見てきたもんな」
「世界中…、きっと見てないものの方が少ないよ」
僕がそう言えば。彼は違いないと言って笑った。
「なぁ、ロラン」
「ん?」
「今度、さ。どこ行く?」
「今度?って」
「今度は今度だよ」
あんま、深く考えんなよ。そう呟いた彼の方こそ、今にも泣きそうな顔をしていたことは言わないでおいた。
「俺さ、行きたいところ、あるんだ」
「…………」
世界中巡った君が行きたい所、その場所に思い当たらなくて、僕は彼の言葉を待った。
すると、彼は天井を見上げてこう言うのだ。
「地上」に、と。
「地上?」
「うん。行こうぜ?今度、さ!」
「………っ」
『今度』その意味が分かった気がして、僕は喉を詰まらせた。
出てこなくなってしまった声の変わりに、僕はマントの中で縮こまっている彼の指先に指を絡めてぎゅっと握り締めた。
彼は一瞬驚いたようだったけれど、俄かに俯き。
暫くすると次第に肩を震わせて笑い出した。
そして、「何?感動しちゃった?」とさっきと同じように僕をからかって、目に涙さえ滲ませるのだ。
くつくつと笑っている彼。
おそらく滲んだ涙の訳は、それだけではないのだろう。
彼の指先が、握り締めた僕よりもずっと、ずっと強く握り返してきたのだから。
あの時の指先の温かさを思う。
『ねぇ、ずっと前に君が行きたいって言った
あの場所にいつか行こう
どれくらい時が経てば
新しく生まれ変われるだろう』
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