「それじゃあ、行ってくるよ」
「ああ…」

 

 

― 三日目 ―

 

 

玄関、と言っても。一間しかない部屋だから、どこに立っても大してかわらないのだが。
一応玄関らしき場所に立って、俺はこの部屋の主を送り出した。
ぱたん、と小さな音を立てて閉じたドアを見遣って、はぁ、と俺は一つ溜息を零した。
「ここ」に来て三日。一体俺は何をやっているんだか…。
この数日にあったことを思い起こして、俺は途方にくれた。

部屋の主「もょもと」が、大学に通う学生だということは、この数日の間に分かったことだった。
大学に通っているなんて、どこかの王侯貴族か、それに連なる子弟。
あるいは、余程の豪商、資産家の者かと思ったが、どうやらそうではないらしい。
もょもとが言う所によると、「ここ」では極一般的に大学に通うものらしいのだ。
その話を聞いたときは、大分社会機構の進んだ国家なのだと感心したものだが。
如何せん、「ここ」がどこだか分からないようでは、その感心の持って行き場がない。

今分かっていることと言ったら。俺は、ロンダルキアからどこか別の場所に跳ばされたと言うことぐらいだった。
恐らくメガンテを行使したことによって、本来命を落とすはずのところ、何らかの別の作用が術者自身に跳ね返ってきたと考えられる。が、全く持って憶測の域を出ない。
と言うか、実際の所。何が起こったのかさっぱり分かんねぇよ!というのが俺の本心だった。

だが、昨日無理を言ってもょもとに調達してきてもらった世界地図によると、「ここ」がどこか思い当たる節が無くも無かった。
ロトに連なる者だけに伝えられてきた、国家機密中の国家機密。
16の成人の儀の折に見ることを許された「地上」の地図。

正にあの地図に酷似していたのだ。
酷似、と言っても、やはり異なる部分も多い。

だから、確信は持てない。持てないが、もし「ここ」が「地上」であるならば、今いるこの場所は「ジパング」に当たる。
もょもと曰く。かつてそう呼ばれたこともある国だ、ということなのだが。
「ここ」が「地上」かどうか確かめられるわけでもなく、それ以前に「地上」の存在は伝説に近いわけだし。
何より「ギアガの大穴」の存在を尋ねてみたら、そんな話聞いたことも無いと返されてしまった。
まあ、つまり。俺がアレフガルドに還る術は今の所、皆無、ということだ。

「はぁ…」

本日二度目になる溜息を零し、俺は部屋の隅に寄せてあるソファに腰を下ろした。
今頃二人はどうしているのだろう。
俺がいなくなった所で、戦力的に大差はないと思うが、無事にやっているだろうか。
ロンダルキアの雪原は想像以上に厳しかった。
無理をするな、と言う方が無理な話だが。どうか、無茶をしていなければ、と思う。
一刻も早く二人の下へ戻って、彼らと共に戦い、彼らを守りたかった。
特にあいつは無茶ばかりする。
剣を振り回すしか能が無いからと笑って、誰よりも先に敵の懐に飛び込んで、自分の傷をかえりみず。
物凄い頼りになるけど、その反面、いつも見ていてやんないと心配で仕方が無い。

怪我、してねぇかな…。
ムーンがいるから大丈夫だよな。

いつも追いかけて、どんな時でも守ってきた相棒の背中が脳裏に浮かんでは消えた。

そして、つと不意にその背中が振り返った。

真っ直ぐで少し硬い黒髪がさらりと風に揺れて、内面を表したかのような柔らかい笑顔をこちらに向ける。
どきっと、そんな擬音がしっくりくるような、もはや条件反射の如く跳ねる上がる心臓。
だが、今回はそれだけではなかった。同時にぎくりと落ち着かない焦燥感のようなものが滲み出す。
その正体は考えるまでも無く、先程見送った部屋の主へのものだと分かった。

「もょもと」はローレに似過ぎていた。一日がかりで別人だと説明された後でさえ信じきれず、数日経って漸く他人の空似なのだと自分に納得させているぐらいだ。
「ローレ」と呼びそうになった回数は既に数え切れず、反して、まだ一度も「もょもと」と呼んだことは無かった。
いや、正確には呼べなかった、というのが正しい。
「もょ」の発音が出来ないのだ。
当の本人は普通に口にしているのだが、自分にはどう頑張っても無理だった。

もょもとは、そんな俺を見て、無理して呼ばなくて良いよと、苦笑していたのだが、そういうわけにもいかない。
しかも続いた彼の言葉に、俺は尚更首を縦に振るわけにはいかなくなったのだった。

「呼び辛かったら、『ローレ』って呼んでくれても構わないよ。その人と俺、凄く似てるんだろ?」

恐らく親切心から出た言葉なのだろうが、名は神聖なものだ。
一人一人に与えられた、その人唯一のものにして絶対なもの。
名を呼ぶということは、それだけで相手を形作る意味を持つ。
だから、彼を「ローレ」と呼ぶわけにはいかなかった。
「もょもと」と呼べないことが申し訳なくはあったが、俺は仕方なく妥協案を持ちかけた。
それは彼を「もよ」と呼ばせてもらうことだ。
名は神聖なものと言った矢先に、この提案はどうかとも思ったが、彼は特に気にした風もなく、快く頷いてくれた。
もよに言わせると、実際にちゃんと名を呼べるのは自分の父親ぐらいなものなのだそうだ。
なんつー名前をつけるんだと、父親に訴えた数も相当なものだとか。
そう笑い話のように話してみせる彼だったが、

「一度でいいから、ちゃんと名前で呼ばれてみたいって気持ちはあるけどね」

と、会話の最後にぽつりと零れた彼の本音に、申し訳なさからなのか、ずきりと胸が痛んだ気がしたのも気のせいでは無いだろう。

 

 

 

□■□

 

 

 

気が付けばもう夕闇が迫っていた。
窓から望める景色はどこもかしこも無機質で、茜色に染まりながら等間隔に植わっている木々が、かえって人工的に映った。
それは、ここが自分のいた世界とは異なるのだと思わせるのに足る風景だった。
「ここ」に来て一日目の朝、窓から外を見た俺は驚きで言葉を失った。
あまりに己の常識とかけ離れた風景に頭が付いていかなかったのだ。
それでも、ここを出て、あいつらの下に還る方法を探さなくてはと、この部屋を飛び出したのがその日の夜。
飛び出したところで、行く宛てどころか、ここがどこかすら分からない俺は、慌てて追いかけてきたもよに、直ぐに連れ戻されてしまったのだが…。

今日も、目の前で賑やかな映像と音を響かせているテレビなる装置を見ることぐらいしか出来なかった自分に焦燥が募る。
音と映像が無尽蔵に流されるそれは、「ここ」の字を読めない俺に情報を与えてはくれたが。正直、理解が追いつかないというのが現状だった。
言葉は分かるのに、字が読めない。その不自然さの原因も、今の俺には知る由もなかった。
言葉が分かるだけ良かったと思うしかないのだろうか。

そう、窓から外を眺めて途方にくれていると、ふいに部屋の隅から奇怪な音が鳴り響いた。
聞いたことの無いその音に思わず、肩を揺らすほどに驚いて、俺は慌てて振り返った。
すれば、その音は、もよが説明してくれた「電話」から鳴り響いていることが分かった。
一人暮らしなんだから携帯で十分だって言ったのに、父親に家電を繋ながれた、とか。確かそんなことを言っていた気がする。
言っている意味なんて、これっぽっちも分からなかったのだけれど。
その時、彼が、もし電話がかかってきても出なくて良いから、と言っていたのを思い出す。
一応使い方は教わっている。
電話がかかってきたら受話器をとれば相手に繋がるとも聞いている。
でも、出なくて良いと言われているんだ。下手に出て、何か失敗を犯すのも悪い。
俺はそう考え、鳴り続ける音を無視することに決めた。

…が、それから数十秒、いや、一分近くたってもその音は止まず。
仕方なく俺は恐る恐る電話に手を伸ばした。
がちゃりと受話器を持ち上げて耳に宛がう。

「…はい」

何と言って良いのか分からず、俺は戸惑いながら、やっとのことでそれだけを口にした。
すると、途端に返ってきた弾んだ声。

『あ、サマ?良かった出てくれて』

俺はこの時ほど心臓が脈打った経験を知らない。

「…ロ…、レ?」

思わず唇がその名を紡ぐ。
耳の傍で響いた彼の声。これ程近くで名を呼ばれたことなんて無かったから、意識するより早く、頬に血が上ってくるのが分かった。

だが、次の瞬間。直ぐに自分の仕出かした失態に気が付いた。

『え?あ、ごめん。俺だよ、もょもと。そっか、声まで似てたんだ』

電話ごしのその声には、苦笑が混じっていた。

「あ…、すま、ない。」

俺は何とかそれだけ言うと、彼は、別にいいって、と笑って応えてくれた。

『でさ、ちょっと今日帰りが遅くなるから言っておこうと思って。夕飯、適当にあるもの食べてくれて構わないから』
「ああ、分かった。そんなに気を遣わないでくれ。やっかいになってるのはこっちなんだし…」

本当に奇特な男に拾われたものだと思う。
普通、こんな得体の知れない人間を自分の家にあげて、あまつさえ、その世話を焼くものだろうか。
そんな、お人好しと言うには過ぎる態度に、やはり己の相棒の顔が浮かんだ。
まさか、この手の顔は皆お人好し、というわけでは無いだろうが。

『で、そっちは、平気?』
「…え、別に。問題はない」
『良かった。何かあったら、直ぐに言ってくれて構わないからね』
「………ああ」
『それじゃあ、また後で』

そこでプツっと電話は切れた。
ツーツーと音が聞こえてくる受話器を掴んだまま耳から離せずに。

俺はそのままへたりと、床に腰をついてしまった。
受話器を持つ手が微かに震えている。
もよに借りた服は俺には少々大き過ぎて、襟が肩をずり落ちそうになるのだが。思わずそれを胸元にぎゅっと手繰り寄せて、未だ慌しい心臓を宥めるのに必死になった。

どこの恋する乙女だ!

と自分につっこみを入れたくなる。

絶賛片思い中だとは言ったものだが、こんなことでこんな失態を晒すほど自分が重症だとは思っていなかった。
あいつに耳元で名前を囁かれるなんて色っぽいシチュエーションに巡り合ったことがなかったから。
というか、あいつとは本当に幼馴染で親友で相棒でしかないわけだし。
そもそもそんな場面が訪れるほうがおかしいのだ。
だから兎に角、今のは不意打ちと言っても良い。

「はぁ…、何やってんだ、俺…」

今頃二人はあの雪原で死闘を繰り広げているかもしれないというのに。
こんな自分が情けない。
本日三度目の溜息と共に、俺は自己嫌悪の海に沈む。
ついでに、握っていた服から手を離したら、俺の気持ちを体現したかのように、ぶかぶかな服が肩からずり落ちたのだった。
 

その後、夕飯を食べる気にもなれず、結局もよが帰ってくるまで待つことになってしまったのだけれど。
部屋の隅で途方にくれている俺の姿に目を遣ると、彼は何故か気まずそうにつと目を他所に遣り。
今度の休みに服、買いに行こうなと言ったのだった。

 

 

 

 

一年以上経って、やっとこさ続きを書けました(笑)
ギャグだから色々大目に見て下さい。
電話するサマと、彼氏?のぶかぶかな服着たサマを書きたかっただけですのでね!
管理人は少々頭がおかしいのですよ…!
う〜ん、これ続くのかな?どうだろ?

 

続いた☆ 

 

 



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