遠雷

 

 

こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。こわい。

厚いカーテンで窓を覆っても、隙間から忍び込む雷光。
暗い部屋を一瞬昼のように明るくしたかと思うと、続いて響き渡る雷鳴。
城の石壁を越えて聞こえてくる激しい雨音。

旅に出てから今の今まで忘れていた己の弱点。
俺は雷が苦手だった。
いい歳をした男が何を、と思われるに違いない。
でも、幼い時の経験は強烈だ。
年端もいかない時分、俺は雷で酷く恐ろしい体験をした。
それからというもの、ある程度落ち着いたとはいえ、雷鳴が響きだすと自然に身体が強張るようになっていたのだ。

つまるところ、トラウマ、だ。

男として恥ずかしいことこの上ない事実は、己のプライドにかけて隠し通してきたし。
何より、ここ数年でそれほど恐怖を覚えた記憶もないから忘れていた。
けれど。雷鳴が近づくにつれ、誤魔化しきれないほど震えだした身体に、正直、何故今更、という思いで一杯になった。

部屋の隅に丸くなって、震える手で耳を塞ぐ。
もう克服したと思っていたのに。今更、どうして。
ここ数年、雷に怯えたことなどなかったというのに。

そう思えども、轟く雷鳴に強張る体はどうにもならない。
俺は、一際明るく光った空から視線を逸らすように、ぎゅっと目を瞑った。

そうやって、耳を塞ぐ手に、より力を入れて蹲っていると。
ふと。
何故か。
アイツの顔が、浮かんだ。

それこそ、どうして。という思いに駆られた。
何故、今ここでアイツを思い出す必要があるんだ。

恐怖で動転している俺は大分混乱していたが。
けれど、次に雷鳴が轟いた時には、その答えに思い当たっていた。

ここ数年、雷に怯えなかった理由。
それに思い当たる。

旅空に、雷に出くわすことはままあった。
もちろん、怖いなどと言えるはずもなく。俺は、始終何でもない振りをしていたのだ。
けれど。無意識に。
アイツの――ロランの傍にいようとしたのを思い出す。

不自然に見えないように、気づかれないように。
何時もより半歩だけ彼の近くを歩いて。
すると彼は、決まって、そのまた半歩分の距離を詰めてくれたように思う。
いつもよりアイツの近くを歩いていると、雷はそれほど怖いものには思えなかった。

でもそれは。今になって思うと、俺が雷を怖がっていることをアイツが知っていたということに他ならない。
知っていてなお、笑ったり、からかったりせずに、俺に悟らせないぐらいの気遣いで、その距離を詰めてくれていたのだろう。

今になって気づくその彼らしい優しさに、思わず苦笑が漏れそうになった。
けれど。
次の瞬間。
俺の目からは、ぼろぼろと涙が零れていた。


「………ぅううっ」

ぎゅっと目を瞑っても、ぽたぽたと零れ落ちる涙は止まらない。

逢いたい。
逢いたくてたまらない。

逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて。おかしくなりそうだ。

堪えても堪えても、零れ落ちる涙と、嗚咽は治まらなかった。

 

 

□■□

 

 

遠雷だ。
ローレシア城から遥か西の方で、雷鳴が聞こえ始めていた。
僕は思わず、自室の窓から西の空を見上げた。
空が大分暗い。
この分だと、あの曇天の下は相当な雷雨になっていることだろう。

「………サトリ」

思わず彼の名前が口をつき。
誰に聞かれたというわけでもないのに、僕は慌てて自分の口を押さえた。

彼が雷を怖がっていることは、共に旅をするようになって直ぐに気が付いたことだった。
怖いものは仕方ないじゃないか、と言おうともしたけれど。
どうやら彼はその事実を隠しているようだったし、怖がらないよう努力しているのだと分かってしまってから。
僕は、彼に気付かれないよう、せめていつもより彼の傍にいようと距離を詰めていたことを思い出す。
彼は気付いていなかったけれど、それだけで彼の強張った肩から力が抜けていたように思う。

あの曇天の下は酷い雷かもしれない。
でも、この距離から雨雲が見えるということは、サマルトリアはもう晴れた頃か。

どうか真っ青な快晴を。
どうか、彼が怖がらないように。

そう胸の内でそっと祈りを捧げ、窓から離れようとした時だ。
僕は自分の目を疑った。

「え…………」

思わず言葉をなくす。
僕は視界の端に捉えた、淡い蜜色のそれに、確かめるように目を向けた。

「………サト、リ?」

これは目の錯覚か。
それとも己の願望が創り出した幻か。

窓の外。
三階に位置するこの部屋からだと大分小さく見えるが、階下の木下に蹲るように座っている人物に気が付いた。
僕が見間違えるはずがない。
これが夢か幻でもない限り、そこにいるのはサトリに違いなかった。

「サトリ!」

堪らず声を上げれば、その名前の主は驚いたように顔を上げた。
瞬間目が合った。
と思った次の瞬間には、彼は酷く居た堪れないという表情をして背を向けた。


このままだと逃げられる。
何故かそう思った僕は、ここが三階だということも忘れて窓枠に脚を掛けていた。

「なっ、おい、やめろ!危ない!」
「え、…あ。ああ。」

すると、途端に慌てふためいた声が返ってきて、僕はここが地上から大分離れていたことを思い出した。
たかだか三階程度の高さで怪我をするほど柔ではないが、全く無事で済むという保障も無い。

「サトリ!そこで待ってて。直ぐ行くから!」

彼の返事を待たずに部屋から飛び出した。
とは言え、城の者に不審がられても不味い。
僕は逸る気持ちを理性で押さえ込んで、彼の元に急いだのだった。


果たして、彼はそこにいた。

どうして?とか。
いつから?とか。
何があったの?とか。

聞きたいことは沢山あったのに、同じ高さで面と向かったら、何を言って良いか分からなくなってしまった。
彼とは、あの旅以来。
いや、あの夜以来、一度として会ってはいないのだ。

あまりに突然の再会は、僕を混乱させるに十分だった。

なのに、彼は更に僕を混乱の淵に追いやった。
うぅ、と呻き声のような声を漏らしたかと思うと、途端にぼろぼろと泣き出したのだ。

「サ…、サトリっ?」

慌てふためく僕を他所に、彼の涙は酷くなる一方で。
僕はもう、条件反射としか言いようのない動作で彼を胸に抱きしめるしかなかった。

サトリの涙を見るのは初めてではなかったけれど、最後に見たのはおそろしく昔のような気がする。
一度だけ見た彼の泣き顔は、ベラヌールでの一件以来だ。
彼は自尊心が高いのか、泣くことをよしとせず。
感受性が強いくせに強がることが常だったから。

こんな風に、思い切り泣かれると、どうして良いか分からなくなる。

何よりも、僕には負い目があったし。
彼に想いを告げたあの夜。彼にその想いを拒まれてしまったから。
こうして。
こうして、思わず抱きしめてしまったものの、彼が嫌がっていやしないかと、不安で堪らなくなった。

「ロラン…、ごめっ…」

嗚咽の合間に漏れ聞こえた小さな謝罪の言葉に、僕は目を瞬いた。
彼が何を謝っているのか分からない。
それでも、
困惑している僕を他所に、それきり、またも彼は静かに泣いているものだから。
僕はどうして良いものやら。彼に嫌がられはしないかと怯えながらも、彼が落ち着くようにと髪や肩を撫で擦ってやることしかできなかった。

すれば。暫くすると彼の口から少しずつ言葉が紡がれ始める。

「…急に、ごめんな。驚いた、だろ?」
「別に、構わないよ。驚きはしたけどね。」

漸く落ち着いてきたのか、恥ずかしそうに目を逸らして身体を離したサトリに、僕は殊更軽い口調で答えてみせた。

本当は、死ぬほど驚いたこととか。
嬉しくて死にそうなこととか。
そんな真実には蓋をして。


「いや、その、本当に悪かった。突然意味もなく…。俺、もう、帰る…から」
「待って…っ!!」

帰る、と言ったそのすぐ後、慣れ親しんだ彼の詠唱の声が聞こえ、僕は取り縋るように、もう一度彼を抱き込んでいた。

「な…、何すんだよっ」

慌てて声を荒げた彼は、既に僕の良く知ったサトリの口調に戻っていたけれど。
僕は構わずに、もう一度ぎゅっと腕に力をこめた。

「折角来てくれたんだ、もう少し…」

僕には瞬時にサマルトリアに行く術などありはしない。
彼に逢いに行くには片道でもそれなりの日数を要した。
王位についた今、そう簡単にそれができるはずもなかった。
最悪、もうサマルトリアに赴くことはないのかもしれない。
そう思うと、自然と腕に力が入るのだ。

「ロラ…っ!苦しい!!」

ばしばしと背を叩かれてやっと、僕は我に返った。

「ごめん」
「いや…」

気まずくも、さっと身体を解放すれば。彼も、こっちこそ悪かったと言って俯いた。

「それじゃあ…」

サトリの口をついた、その別れの挨拶とも言えない挨拶に、彼の気が変わらないことが知れる。
四半刻にも満たないような再開だったけれど、僕の胸には言いようのない想いが溢れていた。

どうして急にローレシアに来てくれたのか。
いや、自惚れて良いのなら。どうして僕に会いに来てくれたのか。

そんな質問を彼にぶつけて、望んだ回答を得たいと思ったけれど。
それは、彼の弱みに付け込んだ誘導尋問になってしまう気がして、僕は口を噤んだ。

「うん。また」
「ああ、またな」

また。というのがいつになるかなど分からない身の上。
これっきり、ということもあるかもしれない。

それでも。
また、と言ってくれる限り、いつか必ず会えるだろうと。
僕はルーラで姿を消した彼の軌跡を暫く眺めずにはいられなかった。



西の空。
遥かに聞こえていた遠雷は、もう間も無くローレシアに雷鳴を響かせることだろう。

真上に迫る曇天を見上げ。僕は思わず、泣きたいほどに感謝を捧げたくなった。

彼がローレシアに、いや、僕の所へ来てくれたのは、恐らくこの雨雲のせいだ。

強がって。何でもない振りをして。それでも強張っていた肩を思い出す。



――今日、僕は。彼の恐怖を少しでも拭ってやることができただろうか?

 

 

 

私、雷、苦手なんですよね…orz
家の近くの産業科学博物館で、室内に小規模の雷を落とす実験がありましてね。
幼少のみぎり、その実験に参加させられ、間近に雷が落ちるという経験をしてから、未だに雷が怖いです。
雷が鳴ると、あの時の映像がフラッシュバックするんですよ〜orz
ライディンってあんな感じなんだろうなぁと思います。

というわけで、雷が苦手なのは実は私でした、というオチなのでした(笑)

突発的に書いてしまったけれど、一応この話は、Second Truth設定で、サトリさんが結婚する前の話。
旅の帰還から半年後ぐらいだと思っていただければ…。
しかし、サトリさんがそんなに雷苦手だとは、私も知らなかったわ(ぉぃ)

追記。
ロランさんの一人称が「僕」なのは仕様です。
サトリさんに振られて、失恋後髪を切る女子のように、一人称を「僕」から「俺」に変えた設定ですが、
まだこの時は、失恋後半年ぐらいで、「俺」に慣れていないのですよ。
口にする時は「俺」でも、胸中では「僕」。
まあ、そんな感じです(笑)

 

 

 

 

 

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