「……え?サトリって、…誰?」

 

できれば使う機会がなければ良いと思っていた呪文、ザオリクを使わなければいけない状況に追いやられてみれば。
呪文を施された対象者は、寝起きのような間の抜けた声でそんな台詞を呟いた。

「ロラン?ちょっと、あなたどっか悪いトコでも打った?」

あまりに予想外の言葉に、ルーナのやつがポカンという音が聞こえてきそうな顔でロランを見やる。

「ルーナ、悪いトコも何も、こいつさっきまで死にかけてたし」

そんなルーナに、ついさっきまでのこいつの状態を説いてやれば、

「あ、まあ、そう、なんだけど…」

と、戸惑いを隠せない様子で俺を振り返った。
まあ、俺もルーナの言いたいことは分かる。
サトリって誰?って、それ、一体なんの冗談?ってもんだ。

「おい、ロラン。一人だけぶっ倒れて気まずいのは分かるけどさ、その冗談笑えねぇんだけど」

真面目、実直を素で行くようなヤツに、こんな高度な冗談をされるとは思っていなかった。
不機嫌さを前面に出して睨めば、蘇生したばかりのロランは、助けを求める様にルーナを見た。

「え、いや。その……ルーナ」

「何、ロラン?」

ルーナも辛抱強く相手の出方を待つ。
俺も、ルーナに合わせて、ロランの次の言葉を待ってやった。
謝るならさっさとしやがれ、この馬鹿。思うが、それは言わない。
ここで俺がキレて、こいつの一世一代の冗談を台無しにするのも、ほんの少しばかり気が引ける。

「ルーナ…」

再度、呼びかけられルーナはまたも思慮深く頷いた。
それを見とめて、何やら決心でも付いたのか、ロランは視線を俺の方に移して、不思議そうに呟いたのだった。

 

たった一言、そして、少し申し訳なさそうに。

 

「この方は?」

 

 

 

□■□

 

 

 

「申し訳ありません、サトリ殿下」

「………、サトリでいい」

「申し訳ありません、サトリ」

…おい、こいつ本当に俺をおちょくってるわけじゃねぇだろうな。
こいつ、ロランがぶっ倒れたロンダルキアへの洞窟はさっさと抜け出して、俺達はいったんベラヌールまで戻って来ていた。
こいつの様子がこうも変じゃどうにもならないだろうというルーナの意見に賛同したわけだが。
如何せん、これは変と言うか酷過ぎる。

「その敬語も止めろ、気色悪ぃ」

「あ、ご…ごめん」

殊勝な態度は今まで通り。いや、ほぼ全て今までのままだ。何も変わっちゃいない。

 

只一つ、俺のことを、これっぽっちも覚えていないということを除いては。

 

「なぁ、お前、本当に俺のこと覚えてないわけ?」

今日何度目かになるその質問を繰り返せば、ロランは数時間前に尋ねた時と同じく、申し訳なさそうに頷いた。

「そっか…、まあ、それ以外のこと覚えてるんなら平気だろ」

「本当に、ごめん」

「別に、いいよ、もう」

「ごめん」

「だからっ!もう、いいって…!」

ごめんと謝り倒す相手に、思わず声が荒くなった。
馬鹿だ。これじゃあ、気にしてますって言ってるようなものだ。
俺は、取り繕うように右手を差し出した。

「まあ、なんだ…。改めてこれからも宜しく」

「ああ、こちらこそ宜しく頼むよ」

ロランは少し驚いたような顔をしていたが、持ち前の紳士的な笑顔で俺の手を握り返したのだった。

 

 

 

□■□

 

 

 

ロランが俺のことを忘れてから2週間近くが経った。
その間何をしていたのかと言えば、かの洞窟とベラヌールを行ったり来たりしていたわけだ。
もともと、難攻不落、踏破できるのかさえ怪しい洞窟だったのだが。俺とロランの息が合わなさ過ぎて、一向に洞窟の攻略は進まない。
攻守のタイミング、連携のとり方。それ以前に、戦闘外のちょっとした会話でさえ駄目だった。
最初はお互い気を遣いすぎた。
そのうち、意思の疎通が上手く行かなくなると、荒れた。
どっちがって?そりゃあ、俺に決まってる。曲がり間違っても、ロランが俺を邪険にすることはないだろう。
記憶がなくなる前も、後も。こいつは、俺に悪し様に当たることは一度も無かった。

だから、かもしれない。それがとても悔しいのだ。

以前と変わらぬ態度で接せられても、表面上は変わりなくても。
こいつが俺に向けている想いは変わってしまった。

仲間として大切にされている。それは今も前も変わらない。
そして、それを俺が望んでいるのは今も前も変わらなかった。

だから、むしろこの方が良かったのかもしれない。
だけど、やはり、何故か悔しいのだ。

あれだけ人のこと、好きだの何だの言っておきながら、綺麗サッパリ俺のこと忘れやがって、ふざけるな。と、そう言ってやりたい。
お前が一言好きだと言うだけで、切羽詰った顔で迫られるだけで、どれだけ悩まされたと思ってるんだ。


だから、そう考えたら。


仲間であることが一番の選択だと、切って捨てた俺の想いは報われたのかもしれなかった。

 

 

それでも、やはり、悔しくて悔しくて泣きたくなるのは何故だろう。

 

 

 

□■□

 

 

 

そして、ロランが俺を忘れて一月。俺達は念願のロンダルキアにいた。
ロンダルキアの祠にひっそりと隠れ住むようにしていた司祭と巫女の善意で、俺達は最後の寝床にありつけることになった。

ルーナに就寝の挨拶をして、俺達も宛がわれた部屋に入る。
そして、向かい合って並ぶ二つの寝台に目をやった。

そう言えば、こいつと出会ってからというもの、一度も一人部屋をとれたことがなかったな。
ふと、そんなことを思う。

ついに、ロンダルキアという旅の目的地に辿り着いたせいか、俺は感慨深く長かったこの旅に思いを馳せた。
実家に帰れば天蓋つきの寝台が待っている王子の身分。
思えば、この旅はずっと金欠だったんだなぁなんて、まだ終わってもいないのに、懐かしさが胸を占めた。

この長く辛かった、けれどそれ以上に大切なものを与えてくれたこの旅。
ルーナとロランと共に過ごせたこの時間は、何ものにも代え難いものだった。

 

だから、だ。そうとしか考えられない。

 

就寝の準備をしながら、さらっと告げられたロランの言葉に、俺は。

目の前がぶれるような衝撃を受けた。

 

今、こいつは何て言った?

 

「サトリとは短い間だったけど、ありがとう。明日も宜しく頼むよ」

 

なあ、何て言ったんだ、今?こいつは。

 

あまりの怒りと、悔しさで、どこかで何かが切れた気がした。
それは、理性だったのかもしれないし、その何かが限界を越える音だったのかもしれない。

 

「なぁ、お前、今なんつった?あぁ?」

「サトリ……?どうしたの」

 

自分が何を言ったのかも分からない、そんなこいつの態度に、俺は泣き喚きたくて仕方がなかった。
いや、もう、既に泣いていたのかもしれなかった。
現にこうして俺の視界は酷く滲んでいる。

 

悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい。

 

俺は力任せにこいつを押し倒して、呆然としたその顔を一発ぶん殴ってやった。

 

「返せ!返せよ…っ!!俺のロランをっ…、返してくれよ…っ」

 

呆気にとられた相手の唇に噛み付く。訳も分からず抵抗を見せたその腕を、自分でも驚くほどの力で押さえ付けて、唇を割って舌を絡ませた。

「なっ…ちょ、サト…リっ、やめろ」

頭を振ってそれから逃れたやつを無視して、俺はその首筋に噛み付いてやった。

「なん、のつもり、だっ、やめないかっ」

しかし、今度ばかりは本格的に抵抗され、あっけなく俺は押し倒し返された。

 

悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。

 

「好きだって言ったのも、抱きたいって言ったのもお前だろっ!俺が抱かれてやるって言ってんだよ!!抱けよ…っ!ふざけんなっ…」

 

もうめちゃくちゃだ。自分が何を言っているのかも分からない。
ただ、もう悔しくてしようがなくて、俺からロランを奪ってったこいつが憎くて泣けてきた。

ぼろぼろぼろぼろ馬鹿みたいに涙が出てきた。

 

「ロランを、返してくれ、よ…。なあっ」

 

お願いだから。何でもするから。そう言ってるうちに、喉が震えて、言葉さえ上手く喋れなくなってくる。
俺は、両腕で顔を覆って、子供のように泣き喚きそうになるのを押し殺した。

「…っふ。うぅっ…」

「サトリ……」

顔は見えないけれど、俺の名を呟いたその声が、とても辛そうに痛ましく響いた。

「ごめん。本当に、ごめん。…ごめん」

ロランは俺の両腕を顔から外させると、涙の筋を辿るように、頬に、瞼に、こめかみに唇を寄せていく。

「ごめん。君には本当に悪いことをしたと思ってる。ごめん」

そう言って、尚もロランは謝り続けるのだ。

 

本当は、俺だって、こいつが悪いわけではないことくらい分かってる。

でも、この悔しさを。この苦しさをぶつける相手が欲しかった。

 

一度も応えてやらなかったけれど。
応えてやるつもりもなかったけれど。

俺は。

こいつが俺を想ってくれていた以上に。

 


こいつを、想っていたのだから。

 

 

 

□■□

 

 

 

「おはよう、サトリ」

「…あ、ああ。おは、よう」

いつのまにか眠ってしまったのか、泣き疲れて眠るなんて。
それ以前に、昨夜の醜態を思い出して、気まずくて寝台から起き上がれない。

「なあ、サトリ?」

「…な、んだよ…」

顔を見ないように、壁に向き合うように寝返りをうった。
なのに、だ。思慮に欠けるにも程があるのではなかろうか。

「昨日言ってたこと、覚えてる?」

こいつがどんなつもりなのか知らないが、その話題をわざわざ振ってくるとは。
気まずさよりも、苛立ちに近い怒りが湧いてくる。

「覚えてるに決まってんだろっ!」

俺はがばりと起き上がり、半ば自棄になって相手の方を振り返った。
と。何故か目の前にあるその相手の顔。

「な…っ、ぅんっ!?」

何が起こってるのか理解するより前に、息苦しくなって口を開く。
すれば、今度は待ってましたとばかりに、我が物顔で深く唇を塞がれた。

「なっ、なっ…、なん、のつもりだロラン…っ!」

解放されて息も絶え絶えになりながらも睨めつけてやれば。

ロランは少し眉根を寄せて。
でも、今にも泣き出しそうに微笑んで、ぽつり、と。


本当に小さく、呟いたのだった。




「片思い期間、長かったよ…ばか」




…今、馬鹿って言われた気がする。
いや、気がするんじゃない。絶対に言われた。

「今、ばかって言いやがった、お前?」

「言ったよ、ばか」

「な―――」

あの、ロランが。
真面目、実直を素で行くようなヤツが。俺を悪し様にすることなど一度も無かったこいつが。

「素直になるの遅過ぎるんだよ、ばか。リリザの時みたいに、すれ違うのはもう御免だからな、僕は」

「―――リリザって、お前!記憶…っ」

「だから、気付くの遅過ぎるんだよ、ばか」

「お前、馬鹿馬鹿言い過ぎだ、馬鹿!」

 

何が起こったのか分からないけど。奇跡っていうやつなのかもしれないけど。

 

「で、サトリ。昨日言ってたと思うんだけど。」

「ん?」

「抱かせて、くれるんだろ?」

 

かぁっと頭に血が上った。
確かに言った。言った記憶は、ある。
だがしかし、あれは、その場の勢いというやつだ。言ったうちに入るか馬鹿野郎。

 

「んなこと、言ってねぇよっ!!!!」

「えぇ?言ったって!僕の記憶ではちゃんとっ」

「お前の記憶なんて、一番あてになんねぇじゃねぇか!」

「そ、そんな…。まあ、それは、その。ごめん」

「ってか、お前、どこから記憶戻ってたんだ?」

「あ〜、まあ、途中から?」

「なっ。だったら、さっさと言えよな。そしたら俺だって、」

あんな…醜態、晒さずにすんだんだ。

言いながら、何となく語尾が小さくなってしまう。思い出すだけでも居た堪れない。
ヒステリー起して、疲れて寝てしまうなんて。

「いや、だって、サトリ。君、物凄くかわい――」

「それ以上言ったら、殺すぞ」

「………はい」

 

こうしてロランを思い切り睨みつけてはいるものの、俺だって泣きたいほど嬉しかったんだ。

抱かせてやる気なんてさらさら無いが、キスぐらいならしてやっても良いかなんて思ってる自分がいる。

 

「ロラン」

「ん?」

 

名前を呼んで。
改めて視線を合わせるその顔に。
精一杯の気持ちをのせて、俺は。

口付けを落とした。

 


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うっわぁあああああああ。口から角砂糖がこぼれ出そうな甘甘を書いてしまった。

む、胸焼けで気持ち悪い。こんな二人は偽者だ、と思いつつも。

非常に書いてて楽しかったのもまた事実。

やまもおちもいみも無い、記憶喪失話でした☆

あ、このロランとサトリは、いつものロラサトでないことを明記しておく。






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