まさか、という思いが先に立った。 最初は性質の悪い冗談としか思えなかった。 人々が面白おかしく囃し立て、噂が噂を呼んで…。 そんな良くある身も蓋もない、作り話に過ぎないと思っていた。 けれどその噂は一向に消えることなく、むしろだんだんと酷くなってきたように思う。 俄かには信じられないようなその噂。 真偽を確かめる術なんて、今の俺には無かったから。 俺は、その耳を塞ぎたくなるような噂に、どうしようもなく翻弄された。 何も出来なくて、でも、せめて彼に一言聞くまでは。 ちゃんと、彼の口から真実を聞くまでは。 もし、彼が苦しんでいるのなら。彼の助けになるようなことが自分に出来はしないか。 次第に大きくなるその思いは、無理矢理にローレシアへの訪問を取り付けるにまで至った。 意味があるとも思えない国交上の問題を理由に掲げ、必要の無い訪問を果たした俺は、 案の定実りの無かったローレシア首脳陣達との会談の後、ローレシア国王との面会を申し出た。 会談の席に彼の姿が無かったことから、すぐにはその願いが聞き届けられるとは思っていなかったが、予想に反して、あっさりと彼の私室に通され正直戸惑った。 心の準備が出来ていなかったわけではない。 けれど、何と切り出せば良いのか、最初の一言が思い浮かばず、彼を目の前にして喉を詰まらせる。 「すまない。俺も会談には参加するつもりだったんだけど、急にどうしても手が離せなくなってしまって」 すると。黙りになった俺に、ローレシア国王、ロランは申し訳なさそうに口を開いた。 あの旅以来初めての再開だが、彼はあの時と同じく人好きのする柔らかな表情でそう切り出してくるから、俺も漸く肩の力を抜くことが出来た。 「いや、こっちこそすまない。急な訪問だったし。自分で取り付けておいて勝手な言い分だとは思うけど、お前が出てくる程の話し合いでもなかったからな…」 相手がロランだと言うこともあり正直にそう言えば、彼は苦笑を零したようだった。 だが、次の瞬間、その表情が一変した。 そして、見透かしたような、嘲りを含んだような声で俺に言うのだ。 「…それじゃあ、君は何をしに来たわけ?」 その言葉に。 いや、その表情に喉が詰まる。背筋が凍った。 見たこともない表情。笑っているのに、一つも笑ってなんかいやしない目が俺を捕らえている。 「それ、は…」 わざわざ無理を言ってローレシアまで来た理由。 それこそが、俺の知りたかったことだと言うのに、今になって足が竦んでくる。 噂の真偽。 叶うならば彼の助けになりたいということ。 確かめたいことはそれだけなのに、言葉が出てこない。 すれば、彼は一歩俺に近づいて、そして言った。 「『ローレシアの新国王は、男女問わず寝所に引きずり込んでは、日夜色事に耽っている』」 「…………っ」 「それを確かめに来たんだろう?」 ロランが口にした言葉。それは、サマルトリアにまで届いた彼の醜聞だった。 性質の悪い噂。ロランのことを知っているやつなら、俄かには信じられないような内容のそれ。 だが、それはとうとう立ち消えることがなく、俺は居ても立ってもいられずに、こうして今ここにいるのだ。 「…なあ、単なる噂、なんだよ、な?」 「何で、そう思うの?」 「何でって、だって…お前に限って、そんな…」 「へぇ…、『お前に限って』ね…」 彼は俺の言葉を復唱すると、可笑しくて堪らないといった風に笑い出した。 「だから君は馬鹿なんだよ」 そして続いた彼らしくない暴言に俺は言葉を失った。 「君は一体俺の何を見てきたんだ」 可笑しそうに、だが酷く苦しそうに続く彼の独白に頭が混乱する。 「折角来てくれたんだ、教えてあげるけど…」 「……………」 「噂は、本当だよ」 「何で…っ!!」 彼の口から告げられた言葉が信じられなくて、いや、信じたくなくて、俺は思わず叫んでいた。 何で、どうして、ロランが、ロランに限って…! 「何でって、別に良くある話だろ?」 「でも…!だって…」 お前はそんなやつじゃないだろう? どこの国でも、王侯貴族にそんな話が絶えないことは知っている。 別に珍しいことでも、何でもないって。 でも、嫌なんだ。お前がそんなのは悲しい。 「……や、だよ。そんなの」 「何で?」 彼に問われ、涙が零れそうになった。 別に、俺には彼の行動を咎められる権利なんてない。 今の俺は、彼にとって隣国の王子でしかないのだから。 彼の私生活にまで口を出すことが出来よう筈もなかった。 そうしてどうすることも出来ずに、俯いて両の拳を握り締めていると、彼はわざとらしく溜息をついて、一歩一歩と俺との距離を縮めてきた。 「ねぇ、サトリ。止めて欲しい、とか思ってる?」 俯いていたから、それがどんな顔で言われた言葉なのかなんて分からなかったけれど、 俺は女々しくも、こくりと小さく頷いていた。 「そう」 ロランはさして何の感情も見せずに返事をすると、また一歩と俺に近づき、その距離が無くなると、耳元に唇を寄せ無感動に言ってのけるのだ。 「サトリ、あの噂の続き、知ってる?」 「………続、き?」 至近距離で問われたその声に体が強張った。 「そう、続き。『ローレシアの新国王は、男女問わず寝所に引きずり込んでは、日夜色事に耽っている』」 そこで一度言葉を切り、彼は耳朶に触れるように小さく囁いた。 「『金髪翠眼なら手当たり次第だ』」 「…………っ」 びくりと身体が震えたのを隠し様もなく息を呑む俺を見て、ロランは面白そうに続ける。 「聡い君なら、…意味、解るよね?」 「……………」 「止めて欲しいんだろ?」 真偽を確かめたいと思ったのは俺。 彼が苦しんでいるのなら、助けになりたいと思ったのも俺。 でも、こんなのは嫌だった。苦しい。 ぽた、と堪え切れずに涙が一滴床に落ちていく。 「嫌なら良いんだけど。…まあ、別に俺が止める必要もないわけだし」 ロランがこんなことを言える、こんな冷たい態度がとれる人間だとは思わなかった。 彼が言った通り、俺はこいつの何を見てきたのだろう。 あれだけ同じ時間を過ごしてきたのに、彼の何もを見てきたつもりで、何も見えていなかったのかもしれない。 その事実に気がついて、俺は悲しくて悲しくて堪らなくなった。 それでも。それでも俺は、彼が言った通り馬鹿だから。 こいつが好きだから。 どうしても、どうしても止めて欲しくて。 震えて止まなくなった指先で、自分の服に手を掛けた。 暫くして、ばさりと音を立てて上着が床に落ちると、彼はきゅっと眉根を寄せて俺を見る。 「本当に君は馬鹿だ」 そして、吐き出すようにそう呟くと、力任せに俺を床に引きずり倒した。 その後は、ただ怖くて怖くて。彼の為すがまま声を上げ、泣き、叫んだ。 「細い腰…、折れそうだな」 「…っや、あ。や…だぁっ」 敵わない力で押さえ付けられ、怖くて、苦しくて。 そして悲しくて、涙が止まらなかった。 彼の助けになれたら。その思いは本当だった。 でも、こんな形でそれが果たされるとは到底思えなかった。 今、こうして身を贖っているのは、彼に行いを改めて欲しいからという、自分のエゴに過ぎない。 彼を救う、なんて結局俺の思い上がりだったのだろう。 俺がロランを好きだからという、勝手極まりない理由で、彼に何が言えるのだろうか。 かつての仲間で、隣国の王子。 ただそれだけの繋がりは、ひどく脆いものに思えた。 悲しくて悲しくて、もう何が何だか分からなくなって、 「君は本当に馬鹿だ」 意識を手放す直前、もう一度言われたその言葉の意味さえ、俺には分からなかったのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 念のため解説(笑) ロランさん的思考では、 「金髪翠眼なら手当たり次第」というのは、まあ、サトリさんの代わりってのは言わずもがなで。 噂自体もダメモトでロランさんが仕掛けたっつーか、わざと広めたようなのもでして。 まんまと引っ掛かったサトリさんが馬鹿だなぁ〜ってのと。 サトリが好きだ!って伝えたつもりが、金髪翠眼で丁度良いから代わりにヤらせろ的に解釈しちゃって馬鹿だなってことで。 加えて、大人しく従っちゃって本当に君は馬鹿だという、馬鹿三連発だったのでしたー。 |
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