「ただいま」
「おー、おかえりー」

玄関、と言うには狭過ぎる1Kのアパートのドアを開くと、直ぐ目の前にあるキッチンにサトリが立っていた。
火を使っているせいか、まともな暖房器具さえないこの部屋も外と比べれば大分暖かい。
ロランは、きゅっと締まるような12月の空気に固まっていた体から、ほっと力を抜いた。
小さな玄関に律儀に靴を反してから並べて、ロランはサトリの手元を覗きこむ。

「なに作ってるの?」
「ん〜、…鍋?」

鼻歌まじりにお玉と菜箸を駆使しているサトリに聞けば、何故か返って来た答えは疑問形だった。

「鍋?」

一口しかないガスコンロの上に置かれている物は一応「鍋」には間違いない。
が、どう見ても一般的に鍋料理に使用されるであろう「土鍋」とはほど遠かった。
持ち手が一つで、フライパンの深さを高くしたような…、つまるところ、ごく普通の調理鍋である。

「なんかそれっぽいもん、つっこんでみた。ちょっと鍋っぽい気がしねぇ?」

そう言われて覗きこんで見た中身はなるほど、非常に「鍋」っぽい。
豆腐にしらたき、白菜に椎茸、えのきにうどんに、つみれ…じゃないな、これ。鶏肉のすり身を丸めたやつ、と鱈。
結構豪勢だな―――って、かき?牡蠣入ってる!!?

「サトリ…これ、牡蠣?」
「そー、牡蠣。たまには贅沢しないとなぁ〜」

にゃは、と嬉しそうに笑う彼に、サトリが良いなら良いや、とロランも相好を崩す。
極貧というわけではないが、一応後4か月は苦学生の身分である二人。
大学4回生の夏休み、ひょんなことから二人の関係が両の親にばれ、勘当同然に家を追い出されたのが9月の頭。
幸い後期の授業料も収め終わった後であったし、お互い春からの就職先も決まっていた。
今思うと、あのタイミングで家を追い出されたのは、親の気遣いだったのだと薄々気づいてはいる。
とは言え、学生の身分で先立つものなど有る筈もなく。
そのまま二人で安いだけが取り柄の部屋を借りて転がり込んだのだ。
春までなら、二人のバイト代を合わせればどうにかなるとの算段だったのだが、やはり厳しい生活に変わりはない。
ここ数か月贅沢とは縁遠い生活を送っていた。

「っうし!こんなもんか?」

程良く煮えた具をつんつんと突きつつ、サトリがコンロの火を止める。
鍋敷きを一つ摘まむと、鍋と一緒に奥の部屋に向かう彼の後をロランも追った。
良くある6畳間ではなく、少し広めの8畳間。
古い木造アパートの唯一の取り柄と言ってもいいのは、そのプラス2畳分の広さだろう。
部屋の端に寄せられた三つ折りの布団一組。小さめの三段チェストが一つに、それに隣り合わせでコート掛けがある。
その対角線上には16インチというかなり小さめなテレビが1台。
もちろん地デジ対応どころか、薄型でもなく、ブラウン管のそれだ。
流石にテレビは欲しいよな、とのサトリの意見に、電車で一駅のところにある大型家電量販店に行ったのだ。
案の定、どれもこれも最低数万から数十万はするものばかりで、薄くすりゃあ良いってもんじゃねぇんだよ!と、彼が文句を言っていたのを思い出す。
テレビは諦めようか、とむくれる彼を宥めようとした矢先、視界の隅に見えたのがこのテレビだった。
時代遅れのテレビは5800円という破格で、薄さに文句を言っていた彼も、やっぱテレビはこれだよな、なんて負け惜しみすれすれのセリフをはきながらも、とても楽しそうに笑っていたから、ロランは一も二もなくこれを買ったのだ。
後二年もしないうちに、地デジとやらのせいで映らなくなってしまうのだろうが、その頃には二人とも社会人。
アクオスだろうが、ブラビアだろうが買えるはずだ。多分。おそらく。

「って、サトリ!」
「ん?」
「そのまんま食べる気?」

部屋の中央に置いてある75×75の小さめのコタツに鍋を置き、当然のように二組の箸を向かい合わせで並べたサトリにロランは声をあげた。

「取り皿とか、なんかそういう…」
「取り皿ぁ?いいよ、んなもん。適当につつきゃあさ」
「そんなもん?」
「そんなもん、そんなもん。第一、洗い物が増えんだろ、皿増やしたら」

まあ、それは一理あるな。
どちらかと言えば品の良い部類に入るロランだったが、サトリの意見には逐一流されるきらいがある。
ロランはサトリの向かいに座ると、ぱちりとコタツの電源を入れた。
数分もしないうちに遠赤外線とやらの力で中が暖かくなってくる。

「ふぁ〜〜〜、やっぱコタツはイイよ。神だよ、神」

へにゃりと、何とも言えない惚けた顔でサトリが言えば。ロランも笑って頷く。
実は、このコタツもサトリご所望の品というやつだった。
残暑も厳しい9月に越してきたというのに、冷蔵庫と洗濯機を買う前から、コタツは絶対買う!暖房いらねぇから、コタツは買う!!と騒いでいたのだ。
サトリと出会ってから、と言っても、物心ついてから、ということになってしまうが。
この幼馴染は、冬ともなればコタツにもぐり。生活のほとんどをその中で終えていたように思う。
手の届く範囲に物をとり揃え、ゴミは投げてゴミ箱へシュート。外れたらロランに捨てさせる。絶対に外へは出ない。
そんな、典型的なコタツ狂だった。

「いいねぇ〜。コタツで鍋とか。最高じゃね?これでビールあったら最強だけどな」
「でもほら、今日は結構豪勢だしさ。十分最高だよ。ってことで、いただきます」

ロランがそう言えば、サトリもそんな気がしてきたのか、ぱちぱちと瞬きをした後に「どうぞ召し上がれ〜」とくすぐったそうに笑った。
そして、5分後。

「ちょ、何これ、サトリ…!物凄い美味しいんだけどっ…!」
「え、あ。そうか?そりゃ、良かったな」
「鶏肉の脂の旨みと、牡蠣独特の味が合わさって深みを出したところに、椎茸の香りでくどさをなくし香り高く仕上げている。…極めつけは、出汁だ…!サトリ、これ、出汁からちゃんととってるだろ?」
「って、え、や、あ〜…」

どこぞの料理漫画かお前は、と内心引きつつ、サトリは言いよどむ。
そこまで感動されては、答えるのが申し訳なくなってくるというもの。

「…えっと、まあ…。だしのもと……で」
「あー。…ああ、うん。だしのもと…、ね。だしのもと…。美味しいよね、だしのもと…」

あ、こいつ今絶対落胆しやがった。だしのもとだって旨けりゃいいじゃねぇか。
あんだけ褒めちぎってんだから、最後まで褒め抜けよ。
少々むっとしたサトリは、コタツの中で、ていっとロランの足を蹴飛ばしてやたった。

「っっひゃ!!!」

すれば、ロランは素っ頓狂な声を上げて箸を取り落としそうになる。

「ちょ、サトリ!冷たいってっ!君、また靴下履いてなかったんだろ?」
「いいだろ、別に」
「絶対寒いって、それ」

寒いと言えば寒いのだが、サトリは室内で靴下を履くのがあまり好きではなかった。
夏はともかくとして、冬場のキッチンは非常に冷たい。
良くもまあ、素足でいられるものだとロランは思うのだが、本人が履きたがらないものを無理に履かせるのも如何なものかと好きにさせている。
が、コタツの熱でも未だ温まらないその足で蹴られたこちらの身としては少々いただけないものがあった。
ロランは負けじと自分の足を延ばすと、サトリの足を探り当て。
そして、触れるか触れないかのラインで足の裏をつつっとなぞり上げた。

「ちょ、ロラっ、くすぐったいって、やめ、ばかっ」
「さっきのお返し」
「っ、ひゃぁっ」

執拗に足の裏を追いかければ、嫌がってサトリは身を捩った。

「おまっ…しつこいぞ!」
「じゃあ、靴下履きなよ」
「って、どうしてそんな話になってんだよっ」

ずれていく話題にサトリが口を尖らせれば、ロランはたっぷり数秒の間をあけて呟いた。

「………あじのもとに…絆されたから…」
「………なぁ。それ、関係なくねぇ?」


8畳一間に3畳のキッチン。窓の外には神田川。
寒いながらも今日も暖かいコタツなのであった。










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